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"菜翁が旨"さんのほほ~ぇむ健康ペ~ジ

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日本再生の糧

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          日本再生の糧          2011.10.30改定

          紅葉始めた楷の木


閑谷学校しずたにがっこうの「かいの木」の実から育ったわが家の前栽の鉢植えの楷の木の紅葉。

楷(かい)の木・・・うるし科の落葉樹(学名トネリバハゼノキ)

 大正4年(1915年)、農商務省林業試験場の初代場長であった白沢保美博士が中国・曲阜の孔子墓所から「楷の木」の種を採取し、当時の農商務省林業試験場で育苗しました。その後、日本国内の孔子や儒学にゆかりのある学校(湯島聖堂3本(雄)、足利学校1本、閑谷学校2本(雌)、多久聖廟1本(雄)など)に配られました。
 孔子にちなんで、閑谷学校では、「楷の木」を『学問の木』と呼ぶようになりました。備前市のHPより転載



31.吉田茂首相が衆議院予算委員会の席上西村栄一議員の質問に対し興奮して「バカヤロー」と発言し、これがもとで衆議院が解散したのが1953年3月14日であった。

その吉田茂が、

「日本を決定した百年」(初版:昭和42年6月10日、九版:昭和42年8月10日 定価:340円 著者:吉田茂 発行者:野田全治 発行所:日本経済新聞社)で

『日本人は元来冒険心に富む国民であった。

そしてその視野は決して日本だけに限られてはいなかった。

五箇条のご誓文は、日本人の進取の気象を表している。

夢を持つこと、

そしてその舞台を広く求める事が、

現在の日本にとって最も必要とされていることなのである。』

と締めくくっている。



また、巻頭言の中では

『明治の指導者達は優れた「勘」を持っていた。

「勘」というものは、幸運と同じように、

つくり出そうと思ってもつくりだせるものではない。

それらはともに、すぐれた歴史の感覚を持ち、

勤勉に働く国民に与えられる一種の贈り物のようなものである。

自分たちの成功に酔ったり、実力を過信する人々には

幸運も「勘」も与えられはしないのである。

日本の歴史もそのことを示している。』

と述べている。

今の日本にも通用するのではないだろうか?


30.「子どもたちの絵、いいですね。どのように教えているのですか」
   「教えません」
   「誰も教えないの」
   「はい。学芸員や美術学校を出た教師がいますが、ただ付き添うだけ。
    環境や雰囲気をつくったり、本物を見せることをしますが、教えるのは良くないような気がします。」

   「絵を持ってくるだろ。そのとき何て言うの?
    『上手いね』とか『ここがいい』とかいうの?」
   「言いません。『これ上手に描けた』って言ったら、子供はその場所で終わるような気がしますから」
   「何ていうの?」
   「私は『あーうれしいわ』って言います」
   「あーうれしい、か」
   「はい、子どもはひとを喜ばせたと幸せに思ってくれます」
   「うーん、うれしいわ、ね」
   「はい、うれしーわ」
   「うれしーわ」
   「森さんが『うれしーわ』はおかしいから、『うれしいな』がいいです」
            ― 宮城まりこ(ねむの木学園園長)(日本経済新聞「私の履歴書」より) ―

29.理論は膏薬と同じでどうにでもくっつく。
   だが、実践は常に真っ当な結果をもたらしているものだ。
   こんな筈はないと考えるのは、人間のほうが間違っているのだ。
            ― 八木秀次(八木アンテナの発明者) ―

28.教授の言っていることが理解できなければ。
   教授が間違っている可能性を否定しないようにしなさい。
            ― ポール・ボルカー元FRB議長(Paul Volker. Chairman of F.R.B.) ―

27.「危機に直面した組織はイノベーテイブでなければならない」

26.知識を捨てて
   自分の智恵とカンだけで
   生きていく覚悟さえ出来れば
   ひとが三年かかることも
   一年でできます
            ― 西岡常一(宮大工) 日本経済新聞「私の履歴書」より ―

25.刻舟求剣(呂覧、察今)
   中国の故事に「舟に刻して剣を求む」というのがある。
   川を渡っている舟から剣を落とした人がいた。
   落としたあたりの舟べりにあわてて刻みめをつけて、
   舟を止め刻みをつけた所の川底を探したがみつからない。
   舟は動いているのに、刻みめだけは動かないと思っている。
   なんと愚かな話よ、というわけである。
    時勢の移り行くのを知らずに旧慣を守る愚のたとえである。

24.耳食の徒
   旨い料理を食べてもみないで、
   ただ噂によって知ったかぶりで味を論議する者達
            ― 六国表、序文(司馬遷) ―

23.気持を込めてゆっくりと引かれた線こそ
   本当に強いものを内に秘めていて、美しい
            ― 奥村土牛(小林古径より学んだ事) ―

22.積金以遺子孫
   子孫未必能尽守
   積書以遺子孫
   子孫未必能尽読
   不如積陰徳子冥冥之中
   以為子孫無窮之計

   (金を積んで以って子孫に遺すも
    子孫いまだ必ずしもよく守り尽くさず
    書を積んで以って子孫に遺すも
    子孫いまだに必ずしもよく読み尽くさず
    しかず陰徳を冥冥のうちに積んで
    以って子孫無窮の計りごとをなす)

21.大国の政治は小魚を煮るが如く
            ― 老子 ―

20.人は分かりきったことを守らないために、
   間違いを生じ易いものであります。
            ― 澁澤榮一 ―
   (澁澤榮一は、大正時代に民間人が運営する「理化学研究所」を創設したことでも知られている。)

19. 獲り立ての活きのよい鰻の頭に釘を打ち込んで砥石でしっかり研いだ出刃包丁でさばいたり、ノコギリで竹を切り、鎌で竹を割り、肥後ナイフで竹を削り、紙鉄砲、杉鉄砲、くす球鉄砲、水鉄砲、竹トンボなど誰に教わるともなく作ったりして、大人の使う刃物を一人前に扱って、かすり傷こそ負っても、大きな怪我をすることもなく、何時の間にか自在に使って遊んでいた。

だからこそ、
トンド飾りは小学生達の冬休みの楽しい共同作品の一つでもあった。

『温故知新』…古い時代の智慧が、新たな智慧を生み出すきっかけにでもなれば嬉しい、と思う。

18.「少にして学べば壮にして為すにあり、
    壮にして学べば老いて衰えず、
    老いて学べば死して朽ちず」
            ― 佐藤一斎 ―

17.『糠漬け』は、米ぬかを発酵させて旬に採れすぎた野菜を漬け込んで栄養価を増殖させて保存する、という日本ならではのまさしく先人の知恵であろう。
   このような数々の先人達の知恵の中にこそ、日本再生の糧があるのではなかろうか?

16.日本再生の原点は、天候異変による食料飢饉に備えた、荒地でも育つ芋作りの時代を振り返ってみることにあるのではなかろうか?
   (農業・林業・漁業の、日本人の生活基盤の原点である一次産業の再生こそが、日本再生の原点ではなかろうか?)

15.「大昔から年寄りは今の若いものは、と批判がましく言ってきたが、私はそんなセリフを一度も言ったことがない。
    社会の進歩はいつも若い力が支えてきた。
    成人を迎えた若者達も、私のような八十歳のオヤジの言うことなどかしこまって聞いているようでは進歩がない。
    自分の若い力を信じて思い切りはばたいてもらいたい。」
            ― 本田宗一郎 本田技研最高顧問(1987.1.12.日本経済新聞より) ―

14.いい政治家には二つの種類がある。
   一つは、いい政治をやって清貧な政治家、
   もう一つは、いい政治をやりながら我が身も栄えさせて、栄耀栄華を極める政治家、
   いずれをいずれともいい難し。
            ― 司馬遷 ―

13.上之所好下必甚焉〔孟,滕文公〕
    「カミノコノムトコロシモカナラズコレヨリハナハダシ」
    【上の人の好む所の者は下下は一層好むようになる。】
    【上之所好下尤甚】〔淮南子〕


12.上求材臣残木〔淮南子〕
    「カミザイヲモトムレバシンハキヲソコナウ」
    【上の者,小材を求むれば,臣民はその意を迎えて大木を濫伐するに至る。】


11.「目標を見失った社会では、人々は目先の利益だけを追うようになり、自己中心的な人間関係が生まれる」
            ― アービン・ラズロー(ローマクラブ東京大会にて) ―
   【サンフランシスコで開かれたICI(世界放送通信機構)の総会でペッツイー博士にお会いし、ぶしつけに「ローマクラブはどういう団体ですか」と聞いた。
    博士は「公害問題などをのこのまま放置しておくと私達の子供や孫の時代に地球は住みにくい場所になる。
    子供や孫のために少しでもよい状態に持っていくことがローマクラブの目的です。」と、
    実に分かりやすく説明して下さり、私はその場で入会を決意した。
            (小林宏治 元日本電気会長 1986.1.6.日本経済新聞「交遊抄」より)】
              
10.「我が国は、地図にて小さき国なり。
    これを大日本と呼びて、はずかしからぬわけを知れりや。
    大とは形の大小のみをいふにあらず。
    質のりっぱなるをこそ、いふべけれ。
    人についていはば、善き人は大人にて、悪き人は小人なり」

    「いかほど躰大きく、腕力強く、身分高く、財産多く、才智、学問優れたりとも、心だて悪しき人は小人なり。
     卑しむべし。
     小人、悪人とは、自分勝手のみを行う者をいふ。
     大人、善人とは、他人を思いやる心深く、道理に明るく、勇気ある人をいふ。」

     「蒸気は湯気なり。
      されば、其の性質も、働きも、早くより、心づかれたりし筈なれども、
      其の、深く取り調べられて、利用の方法の工夫せられしは割合に近世の事なり。」
            ― 百年以上前の明治三十三年発行の坪内雄蔵博士の高等小学校用教科書(巻六)(坪内逍遥の國語讀本)の阿部正恒現代語訳本 ―




9.計画とは違った形で価値ある成果が達成される。
  何事も予測は難しいが、特に未来の予測は困難だ。
  計画することは良いことだが、
  計画が過ぎると進歩を抑制する。
            ― ジョン・R・ピアース
              (情報通信工学のパイオニアで1954年に衛星通信を発案、エコー衛星・テルスターなどの実用化に尽力
              スタンフォード大学教授(1985年第一回「日本国際賞(Japan Prize)」受賞) ―
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8.厚生労働省の賃金構造基本統計調査から推計した電力業界の平均年収は2010年度で750万円、全産業の平均を6割上回る。
  20年前は平均より35%高い程度だったが、国際競争力の激化にさらされる他産業が人件費の圧縮を進めた結果、電力の給与水準は相対的に上がった。
  東京電力の経営内容を調査する経営・財務調査委員会の下河辺和彦委員長も「他産業に比べ人件費が高い」と批判する。

  一方、電気料金の日本とイタリア・英国・米国・フランス・韓国の6カ国比較では、家庭用、産業用ともに2002年には日本が一番高く、2006年から2008年の間はイタリア・英国についで三番目に高く、2008年以降はイタリアに次いで二番目に高い水準になっている。
短期的には燃料費の増加、中長期的には再生可能エネルギーの導入コストが電気料金の上昇要因である。
            ― 三村明夫(2011年9月24日日本経済新聞)より ―

7.フクシマ原発事故は、『人の五感で感じることの出来ない放射線は、被曝した人々を長期間にわたって苦しめ痛めつける、極めて凄惨で残酷な大量殺人兵器である』という認識すら持ち合わせていなかったであろう「福竜丸事件」や「ベビーフード事件」の延長にあるようにも見える。フクシマ原発事故の責任はどこに? をもっと読む

6.危機になってリーダーが力を発揮するといいのはとんでもない。
  平常時にどんなリーダーであったかが危機の時にはっきりするということだ。
            ――三村明夫(2011年4月21日日本経済新聞)より――

5.政治が頼りにならない以上、企業人もステーツマン(政治家)としての自覚を持つ必要がある。
            ――野中郁次郎(2011年4月20日日本経済新聞)より――


4.これからの企業には単なる現場主義にとどまらず、大局的な視野をいかに取り入れていくかが重要になる。
            ――野中郁次郎(2011年4月20日日本経済新聞)より――


3.現場よりも分析を重んじる米国型の経営が勢いずく中で、現実を知りぬいた人が日本企業の組織の中心に少なくなっていた。
            ――野中郁次郎(2011年4月20日日本経済新聞)より――


2.日本には、社会全体として傍観者的に発言することが知的であるという風潮がある。
  しかし、これほど『反知的』なことはない。
            ――野中郁次郎(2011年4月20日日本経済新聞)より――


1.「死者を埋葬し、生者に食料を」。
  災害を前にしての第一声はこうだったという。  
  じつに機敏に、この措置は実行された。
  だが、すべてが、未経験の事態。
  王国の貴族達は、財産の保全のために狂奔し、教会は神の懲罰を強調して、ひたすら救いへの祈りを求めた。
  ※     ※     ※
   1755年11月1日、午前9時30分のことだった。
  ヨーロッパとアフリカの最西端で、巨大な地震が発生した。
  なんといっても、最大の悲劇はポルトガルの首府リスボンが被害の中心となったことだった。
   ちょうど「万聖節」の祝日にあたっていた。
  チャペルでは、記念ミサに多数の篤実なリスボン市民がつどっていた。 
  そこに、地震がやってくる。
  揺れは、断続的に数十分もつづき、天井と梁が人々の頭上に崩落した。

   だが、ことはこれで終わらない。
  リスボンはテージョ河の河口に位置する。
  その岸から突然に、海水が引き下がっていった。
  やがて、その水は、何十メートルの高さの津波となって、逆流してきた。

  都市はたちどころに狂った波頭の餌食となり、崩壊した家屋は、たがいに衝突して破壊され、流失した。
   大航海時代からの反映を受けついできたリスボンは、このとき25万の人口を擁する。
  地震と火災によって、1万戸におよぶ家屋が倒壊・焼失し、3万人の市民が死においやられたとつたえる。

  およそ全ヨーロッパ世界にとってすらも、いままで経験した、もっとも甚大な震災である。
  地震にかなり縁がうすいはずのヨーロッパにおける悲劇であった。

  ポルトガルは、どのようにして首府の復活をなしとげたのか。

  あるいは、地震を神罰とうけとった人びとはどうやってそのトラウマから脱出できたのか。
  ※     ※     ※
   このとき、ポルトガルは国王ジョージ1世と宰相ポンバルによって、統治されていた。
  そのポンバルは下級貴族の出身で、長い外国勤務からもどったところであり、実力は未知数であった。
  ※     ※     ※
   中世風を残していた古都から、バロック風の首府へと変貌が図られた。
  ひとは、これを「ポンバル様式」とよんだ。
  いまでは、「麗しのリスボン」という。
  
           ――欧人異聞 リスボン地震(上)(下)  樺山絋一(2011年5月15日、22日、日本経済新聞)より――
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